1月26日。2年の国語科「ようすをあらわすことば」の学習の様子を見て思い出したのが次の作品。
おもてにでてみると、まはりの山は、みんなたつたいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青なそらのしたにならんでゐました。一郎は…ひとり谷川に沿つたこみちを、かみの方へのぼつて行きました。
すきとほつた風がざあつと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。
教科には載っていませんが、これは宮沢賢治の『どんぐりと山猫』の一節です。この中の「ざあつ」と「ばらばら」が外界の音を写した擬音語。それに対して、「うるうる」のように、音をたてないものを象徴的に表したのが擬態語です。
授業では、教科書に載っている
◎雨が、はげしくふっている。
◎雨が、ざんざんふっている。
という二つの文を比べながら、言葉についての理解を深めていました。
なお、わたし(校長)が生まれた年ぐらいから放映された『ひょっこりひょうたん島』を手掛けた劇作家・小説家の井上ひさしは、「日本語は擬態語・擬音語が多い」と言われる理由として、
日本語の基本動詞は、よく言えば「大らか」、悪く言うと「大まか」。当然、よりくわしく、よりきめこまかく表現するには、擬態語・擬音語のような副詞に活躍してもらわなくてはなりません。(『井上ひさしの日本語相談』p.140 朝日文庫)
と書いています。ナルホド。頷けます。